みなさん、こんばんわ。
デイケアのブログ担当です。
さて、どんな業界にもどんな仕事にも理不尽な言いがかりをする人やクレーマー、一方的な因縁をつける人というのがいます。
困ったことに、彼らには常識というものが通用しません。
そこで、出た『常識』という言葉。
ネットで検索すると、
”常識(じょうしき)は、社会の構成員が有していて当たり前のものとしている価値観、知識、判断力のこと。また、客観的に見て当たり前と思われる行為、その他物事のこと。対義語は非常識(ひじょうしき)。社会に適した常識を欠いている場合、社会生活上に支障をきたすことも多い。社会によって常識は異なるため、ある社会の常識が他の社会の非常識となることも珍しくない。これは分文化摩擦などとして表面化することもある。”
【出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/02/19 23:47 UTC 版)】
……とありました。
介護の世界から飛び出して最後は文化摩擦まで出てきました。
要は、自分たちが思っていた考えていた常識というものが、他人から見たときにそれは非常識だということが往々にしてあり得るということを示しているわけです。
これはなかなか難しいですよ。お互いに自分の考えが”常識的”だと思い、相手の考え方を”非常識的”だと思っている。
基準となるような定規があるというものでもない。
では、どう意見をすり合わせるか。
相手の立場に立って考えてみることです。
その一瞬、腹を立てても、『この人はなんて非常識な人なんだろう』『そこから説明しないといけないのか』『そんなことは言うまでもなく当たり前だろう』という自分の感情を押し殺して、なんでそんなことを言ってきたのか、をまず分析する必要があります。
その背景には複数の問題が糸のように絡み合っていたり……。
中には本当に非常識な、議論する余地のないものも含まれていますがね。まあ、そこまで極端な例は一旦置いといて…。
それらの絡まった複数の問題を紐解いていくと、お互いの意見の行き違いの答えが見つかったりする時もあるものです。
でもそこはお互い不完全な人間ですから、わかっていても受け入れられないことだったり、
受け入れた風な態度をとって心の中では『なにくそ』と思っていたり、誰でもあることだと思います。
常識と非常識は紙一重。自分の立ち位置によってどちらにも転がるということです。
人間どうしのコミュニケーションはやっぱり難しい。
今日はお疲れモードのブログ担当でした。
おやすみなさい。